東京地方裁判所 昭和49年(ワ)2888号 判決 1976年1月28日
原告
村木集子
右訴訟代理人
小川休衛
<外二名>
被告
天辻明
右訴訟代理人
山下英幸
主文
被告は、原告に対し、別紙目録記載(三)(四)の土地のうち別紙見取図のニホの各点を結ぶ直線およびその延長線より東側でかつホヘの各点を結ぶ直線より北側の範囲内にあるタイル門塀および鉄製門扉を収去せよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
(原告)
被告は、原告に対し、別紙目録記載(三)(四)の土地のうち別紙見取図のイロハニホヘイの各点を順次直線で結んだ線の範囲内にある塀その他一切の工作物を収去せよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行宣言。
(被告)
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者双方の主張
一、請求原因
1 原告は別紙目録記載(一)(二)の各土地および(一)土地上の建物一棟を所有している(以下、(一)の土地を甲土地ともいう。)これらはいずれももと訴外堀江義の所有であつたが、原告の夫であつた訴外近藤喜八郎は昭和三八年六月一一日これを堀江から買受けて所有権を取得し、原告は昭和四三年五月二〇日離婚に伴い近藤からこれが財産分与を受けて所有権を取得したものである。なお、登記簿上近藤の取得登記は中間省略により堀江の前所有者細見幸次郎からなされており、近藤から原告への所有権移転登記は昭和四八年五月二一日付でなされている。
2 被告は別紙目録記載(四)(五)の各土地および両土地上の建物一棟を所有している(以下、(四)の土地を乙土地ともいう。)。これらはもと訴外堀江義の所有であつたところ、昭和三六年に堀江は訴外田中某に売渡し、田中はその後訴外奥村正一に売渡し、奥村は昭和四七年一月二一日これを被告に売渡したものである。
3 甲土地は乙土地と相接している。両土地は、付近一帯の富士見台一丁目二七五番四ないし一二、二七六番三、五、七ないし九の土地とともにもと前記堀江の所有であり、堀江はこれらの土地上に六棟の建物を建築して分譲を企てたが、その際公道に通ずる私道部分として二七五番九ないし一二および二七六番七ないし九の土地を予定した。甲土地、乙土地とも右私道部分の突当りに位置する袋地であり、いずれも私道部分の最奥地である二七六番七の土地(以下、丙土地という。)に接している。丙土地の所有者は訴外保垣琴枝であり、保垣宅は被告宅の北隣りにある。
4 前記堀江は、(四)(五)の土地上に建物を建築した当時、乙土地と丙土地との境界付近には別紙見取図のハニホヘの各点を順次結ぶ折線上に鉄扉ABおよび塀を設置し、それより北を私道として、将来甲土地を買受ける者と乙土地を買受ける者とが共同使用するものとした。
堀江が鉄扉や塀を右の如き形状で設置したのは甲土地の出入口である門の前に通路として必要な広さを確保するためである。
5 ところが、被告は、昭和四八年六月二〇日頃、前記鉄扉および塀を取毀し、別紙見取図のハニホヘの各点を順次結ぶ折線より北側(公道寄りの部分)に別紙見取図のとおりタイル張りの門塀ABおび鉄扉A'B'を設置するに至つた。
これにより原告の甲土地から私道への出入口は狭くなり、出入りに著しく不便を生じたほか、家屋の美観を害し、また甲土地の価値を損じている。
6 しかし、原告は、別紙見取図のイロハニホヘイの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地(以下、本件土地部分という。)について次の根拠により通行権を有するものであり、前項のタイル張りの門塀ABおよび鉄扉B'のうち右原告の通行権を有する土地の範囲内に存する部分は原告の通行権を侵害するものである。
(一) 前記4項のとおり、訴外堀江は、別紙見取図のハニホヘを順次結ぶ折線より北側を私道として、甲乙両土地の将来の所有者のために通行権を設定した。被告が設置した工作物はその一部が乙土地にあり、その余は訴外保垣所有の丙土地にあるけれども、そのうち前記ハニホヘ線より北側にある部分は堀江の設定した通行権に牴触する。堀江は、この通行権設定につき甲土地の買受人近藤および乙土地の買受人田中からそれぞれ承諾を受けており、その後甲乙両土地の所有者となつた者もそれぞれ右の特約の存在を承知で取得している。このような事情のもとでは、原告は被告に対し通行地役権を対抗できる。
(二) 仮に右(一)の主張が容れられないとしても、甲土地は袋地であるから、本件土地部分につき袋地通行地役権を有する。
(三) 仮に右(二)の主張も理由がないとしても、原告は本件土地部分につき通行地役権を時効取得している。
即ち、原告の前主近藤喜八郎は、昭和三八年六月一一日甲土地とその地上建物を買受けて以来常時本件土地部分を私道として通行し来たり、同人から右土地建物の分与を私道として通行し来たり、同人から右土地建物の分与を受けた原告もその占有を承継して本件土地部分を使用占有してきた。右使用占有は継続かつ表現のものであり、訴外近藤が本件土地部分を私道として通行を開始する際、通行地役権があると信ずるについては前述の事情により過失がなかつたら、昭和三八年六月一一日から一〇年の経過により取得時効が完成した。
なお、通行地役権の時効取得のためには通路が要役地所有者によつて開設されることを要しないと解すべきであるが、仮にこれを反対に解するとしても、建売業者たる堀江が将来の甲土地買受人のために通路を開設したものであるから、のちに甲土地を取得した買受人自ら通路を開設したのと同視すべきである。
7 したがつて、原告は、本件土地部分の通行地役権に基づき、被告に対し、前記タイル門塀ABおよび鉄扉B'のうち本件地部分内にある部分の収去を求める《以下省略》
理由
一(建売分譲と私道開設から本件紛争に至るまでの経過)
練馬区富士見台一丁目二七五番四ないし一二、二七六番三ないし九(そのうち四は甲土地、六は乙土地、七は丙土地)の各土地がいずれももと訴外堀江義の所有であつたこと、堀江がこれら一団の土地上に建物を建築して土地とともに分譲したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すると次の各事実が認められる。
(イ) 堀江義は右各土地を昭和三六年頃建売分譲の目的で買入れたが、当時右各土地は二筆に分かれており、南北方向を長辺、東西方向を短辺とする長方形状の一団の土地として北側公道に面していた。堀江はこれら一団の土地の中央部に南北に走る幅約四メートル奥行約二一メートル余の私道を通し、その東西をそれぞれ三区画ずつに分けて合計六棟の建売住宅を建設することにしたが、私道の突当りに位置することになる最奥部の二区画(その東側は現在原告所有の甲土地であり、西側は被告所有の乙土地と二七五番四の土地である。)の境界は私道の中央線の延長線上に設定し、甲土地はその北西部で私道の東側半分に、乙土地はその北東部で私道の西側半分にそれぞれ接するようにした。また、私道敷は、これを南北に六等分し、それぞれを一区画14.54平方メートルの四辺形とし(登記簿上は北から南に二七五番一二ないし九、二七六番九ないし七の順となるが、そのうち二七五番九と二七六番九はあわせて一区画となる。)建売住宅の各購入者が基一区画を取得してそれぞれ私道に提供し合うことにした。
(ロ) 堀江は住宅敷地となる各区画上に建物を建築する一方、この売却にも着手したところ、昭和三六年七月頃、真先に訴外マトメラ農機株式会社から西側最奥区画の購入申込があつたが、買主は車庫専用として私道の突当り部分の全部を買受けることを希望したので、堀江はこれに応ずることにし、従来前記のとおり予定されていた甲土地と乙土地の境界を、私道の東側境界線の延長線上に移すこととした。しかし、これにより甲土地の私道と接する部分がきわめて僅かとなるので、甲土地から私道への出入口を確保するため、堀江はマメトラ農機の求めにより乙土地と私道との境界付近に鉄製門扉および大谷石塀を築造するにあたり、私道から乙土地上の建物の玄関に通ずる位置(私道の西側の行止まり部分)に人の通行用の門扉A(幅約1.3メートル)を、その東側端から南に大谷石五段積みの塀(幅約0.35メートル、長さ約2.3メートル)を、右塀の南端と甲土地との間に自動車出入用門扉B(幅約2.2メートル)をそれぞれ築造し、これによつて甲土地の北西部が私道の東側境界線に約3.3メートルにわたり接するようにし、右塀および門扉Bの外側部分を甲土地のための通路とすることを買主との間で合意した。かくして、私道は東側部分において当初の行止まり予定線より約2.3メートル南方に延長されることになつた(以上の状況につき別紙見取図参照)。
(ハ) 同年七月七日、二七五番の土地は枝番四ないし九に、同月二六日、二七六番の土地も枝番三ないし一二に各分筆され、同月二七日、乙土地、二七五番八および私道の一部である二七五番一二についてマメトラ農機株式会社に対する所有権移転登記が経由されたが、右分筆登記手続の際、これら一団の土地は登記簿上の面積に対し実坪が不足していたのに堀江は地積訂正手続を省略していわゆる図上の分割をし、手続の一切を測量士や司法書士の適当な処置に委ねたため、法務局備付の公図上では乙土地の形状は現地と相違して北東角を単に角切りした形として分筆された(その状況につき別紙見取図参照)。右公図によれば、別紙見取図のハニ間に相当する部分は約1.8メートル、私道幅は約3.9メートル、イヘ間に相当する部分(甲土地と丙土地の接する部分)は約三メートルの計算となるところ、堀江による門扉ABおよび大谷石塀築造後の現地の状況は、私道幅約3.7メートル、別紙見取図のハニ間に相当する部分は門扉の幅約1.3メートルに大谷石塀の幅約0.35メートルを加えた約1.65メートル、イヘ間に相当する部分は前記のとおり約3.3メートルであつて、右工作物はいずれも乙土地と丙土地の公図上の境界より乙土地側に引込んで建設されており、したがつて、堀江の意図に反して乙土地の一部も私道敷となる結果を生じたのである。
(ニ) 甲土地の私道と接する部分約3.3メートルには、その後、前記の如き私道の形状を前提として、北側から順に長さ約1.32メートルのブロツク塀(現在では幅約0.87メートルの木戸と幅約0.45メートルのブロツク塀となつているが、ブロツク塀の一部が木戸に変つた時期は明らかではない。)、幅約0.41メートルの洗出し門塀、幅約1.37メートルの二枚組内開き式門扉が築造され、右門扉は甲土地上の建物の玄関から私道への出入口となつてきた。
(ホ) 甲土地とその地上建物は昭和三六年八月佐藤俊夫が堀江から私道敷である二七六番八と共に買受け、昭和三七年八月細見幸次郎に譲渡され、昭和三八年六月一一日近藤喜八郎に譲渡されたが、原告は離婚に伴う財産分与により近藤からこれが譲渡を受け、昭和四三年五月二一日取得登記を経由した。また、乙土地、二七五番八およびその地上建物は、昭和四一年八月私道部分である二七五番一二と共に渡辺喜エ門が買受け、昭和四四年九月奥村正一に譲渡され、昭和四七年一月二一日被告に譲渡された。丙土地は昭和三七年二月保垣五人に譲渡されている。
(ヘ) 被告は、右土地建物買受後の昭和四八年六月下旬頃、前記門扉ABおよび大谷石塀を取毀し、新たに門扉A'B'とタイル張り門塀ABを設置した。その設置状況および所在位置関係は別紙見取図のとおりであつて、門扉A'の位置は従来の門扉Aとほぼ同様であるが、門扉B'とその両側の門塀ABはおおむね乙土地の公図上の角切り線に以た形状に設置され、門扉Aの北側部分は乙土地とその北側隣地である二七六番五との境界の東方への延長線上より約0.23メートル北側に出ており(なお、乙六号証の一および弁論の全趣旨によれば、この部分は大谷石塀の当時も丙土地上に約九センチメートル越境していたとみられる。この点につき門塀Aが大谷石塀と同位置にあるとする証人北村健司の証言および被告本人尋問の結果は甲五号証および乙六号証の一と対比すると真実性に疑問がある。)丙土地上にあるが、甲土地との境界に接した方の門塀Bや鉄扉B'は乙土地と丙土地との境界線よりやや南方に引込んで建てられており(以上の状況につき別紙見取図参照)、結局被告がなした前記工事はそのすべてが乙土地上になされたものではないが、丙土地に建てられて従来の私道敷を占拠している部分は甲土地より二メートル以上離れている。被告のこの工事の結果、原告方では門扉前面の私道の幅は南方ほど狭隘となり、右門を通つて人の出入りは可能であるが、大型家具の搬出入は不可能または困難となり、自転車の門内への出し入れも困難が伴う状態となつている。
以上のとおり認定できる。
そして、以上によれば、本件は主として乙土地上の工作物にからんで通行権が争われる事案であることが明らかである。
二(本件土地部分に対する原告の通行地役権)
原告は、甲土地所有者として、別紙見取図のイロハニホヘイの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地である本件土地部分につき合意設定に基づく通行権を有すると主張する。
よつて按ずるに、右に認定した事実関係、即ち建売分譲に際し分譲者によつて当初から私道たる通路が開設され、かつ私道敷が私道を必要とする分譲地買受人に分割帰属せしめられた本件の如き場合にあつては、分譲の進行につれて分譲地取得者相互間に交錯的に通行地役権が成立したものというべく(分譲者たる堀江と各分譲地買受人との間では通路の開設維持即ち通行地役権の相互的承認が明示に合意されていることは明らかであり、のちに分譲を受ける者は堀江から土地所有権を取得することにより先に買受けた者に対する関係での通行地役権関係――要役地所有者としての通行地役権と承役地所有者とてしの通行地役権負担関係――を堀江から承継取得すると考えられる。)、その地役権の目的となる土地の範囲は、私道敷としての了解のもとに各買主の所有に帰した土地のみに限られず、黙示の合意によつて現に通路として開設された土地のすべてに及ぶものというべきである。
それ故、原告は、乙土地の一部および丙土地からなる本件土地部分につき、堀江から前記の如き中間者を経て甲土地所有権を取得したのに伴い通行地役権をも取得したということができる。
三(通行地役権に基づく本件妨害排除請求の成否)
そこで原告の通行地役権に基づく妨害排除請求の成否について考える。
通行地役権は、登記可能な権利であるから、これを承役地の第三取得者に対抗するには登記を備えることを要するところ、被告は、前認定のとおり、通行地役権設定後に乙土地を買受けて利害関係を生じた第三者であるから、原告は登記なくして前判示の通行地役権を(特に乙土地に対する関係で)被告に対抗できない筋合いとなる。
しかし、本件のような私道敷の負担付建売分譲地においては、買主は私道敷の所有地には通行地役権の負担が付着していることを熟知しているのが普通であり、自らも私道通行の必要上通行地役権を対抗することを望みかつ通行地役権を対抗されることを甘受して交錯的に通行地役権を対抗し合う法律関係に加入するものであるから、分譲地所有者たる通行地役権者に対して登記欠缺を理由としてその通行地役権を否認する利益はないし、少くともかかる否認の態度に出ることは相隣関係において必要とされる信義則に反し正義の観点から法律上許されないところといわなければならない。したがつて、私道敷分属の当事者間では、原則的に、登記なくして通行地役権の対抗が可能であるというべきである。
しかしながら、右の法理は、信義則に根拠を置くものであるから、私道の存在と私道敷の負担を予想できるかまたはこれを知悉してかかる法律関係に入つた場合に限つて適用されるべきものであり、例外を許さないものではない。
本件の場合、前記二七五番九ないし一二および二七六番七ないし九の各土地については、土地の所在位置および私道の現状からして何人たりとも通行地役権の負担付であることを容易に認識できるものであり、丙土地のうち前記乙土地の角切りによつてふえた三角部分についても同様に公図により容易に認識できたものというべきであるが、本件で問題の工作物設置部分はその大半が前記のとおり乙土地の範囲内にあり、被告本人尋問の結果によれば、被告は乙土地、二七五番八および一二を買受ける際、仲介の不動産業者から二七五番一二の土地は私道敷であることを告げられて承知していたが、(右土地が私道敷部分のうちもつとも公道に近い部分であつて、乙土地とは甚だしく離れていることは前判示のとおり)本件で問題の工作物設置部分については私道の負担付との説明は受けなかつたことが認められるから、被告は乙土地については通行地役権の負担がないものとの認識のもとに取得したものと認むべく、かかる被告に対して原告が乙土地の一部について通行地役権を対抗するためには本則に従い登記を備えることを必要とするところ、原告がこれを備えていることについては何の主張立証もない。
してみると、原告は被告の本件工事前に現実に通路として利用できた土地部分のうち乙土地に属する部分について通行地役権を対抗できず、したがつて、本件工作物中右部分上にある部分については妨害排除としての収去請求をなし得ないものといわなければならない。
そして、本件工作物中、丙土地にあると認められるタイル門塀Aの一部については、さきに認定したところから旧大谷石塀の所在位置より幅約0.14メートル長さ約0.6メートル程度丙土地上に進出していると認められるが(その状況については別紙見取図参照)、右の程度に本件私道を占拠したからといつて原告の通行に特段の妨げがあるとはみられないから、これについても妨害排除としての収去請求をなし得ないものというべきである。
四(通行地役権の時効取得に基づく妨害排除請求の成否)
原告は前主近藤喜八郎の無過失占有開始以来一〇年の経過により通行地役権を時効取得したと主張する。
よつて按ずるに、さきに認定したところによれば、近藤喜八郎は昭和三八年六月一一日甲土地とその地上建物を買受けてそのころその建物に移り住み、居住開始直後ちに通路となつていた本件土地部分の通行を開始したことが明らかであり、同人が本件土地部分を通行してこれを占有するにつき善意であつたことは法律上推定されるところである。そして、近藤が甲土地を取得する際本件一帯の土地が私道敷分属の形で私道通行権を保障された建売分譲地であることを知悉していたであろうことは被告が乙土地などを取得した際の前述の経緯に照らしても容易に推認できるから、近藤が本件土地部分就中別紙見取図ニホヘの線によつて区画される通路部分に対する通行権の存在を信じたとしてもその点に過失はなかつたといわなければならない。そして原告が昭和四三年五月二一日右近藤から甲土地とその地上建物の財産分与を受けたことは前認定のとおりであり、<証拠>によれば、原告は近藤の取得当初からその妻として右建物に居住してきたことが認められるから、原告は右財産分与により近藤の有した右通路部分に対する占有を承継したといえる。
そうすると、原告は昭和三八年六月一一日頃から起算して一〇年の経過により右通路部分に対する通行地役権を時効取得したものというべきであり、右時効完成前に通路敷たる乙土地所有権を取得した被告に対して右通行地役権を対抗できる関係にある(なお、通行地役権を時効取得するためには通路が要役地所有者によつて開設されたことを要するというのが判例であるが、この要件は承役地の通行が承役地所有者の近藤の情宜による黙認によつて許されているとかまたは要役地所有者が通路を自己のために支配しているとみるに足りる客観的事実状態が存在しない場合を除外するところに主眼を置くものとみるべく、本件の如く、分譲地所有者であり、乙土地の買受人との間でニホヘの線以東にも通路を開設することについての合意をとりつけ、かつ自らニホヘの線に大谷石塀および門扉Bの設置工事をして前記通路部分の状態を作り出した堀江から中間者を経て甲土地所有権を取得した近藤および原告については自ら通路を開設したのと同視するのが相当である)。
ところで、通行地役権の時効取得は現実に通路占有者が通行に利用した土地部分について成立するものであるところ、上述の事実関係に徴すると、本件土地部分中原告について継続的かつ表現的に通行がなされていたのは原告方門扉の前の部分すなわち甲土地よりは西側で別紙見取図ニホの各点を結んだ直線より東側かつホヘの各点を結んだ直線より北側の部分であることは明らかである、ホニ線の北方延長線より西側の部分については近藤および原告が通行の用に供していたとは認め難い。
そして、被告の本件工事によつて原告の門扉を通つての大型家具の搬出入が不可能または困難となり、自転車の出し入れも困難となつたことは前記のとおりであるから、原告は前記ニホヘの各点を順次結ぶ折線より北東側地上に存在するタイル門塀B、門扉B'およびタイル門塀Aの一部について被告に対し収去を求めうるものというべきである。
五(被告の抗弁二について)
被告は本件工事につき原告の承諾を得ていた旨主張するけれども、その主張に副う<証拠>は信用し難く、また被告は原告が本件工事後一〇か月間苦情もなく経過しながら本訴に及んだのは権利の濫用であると主張するけれども、右の程度の日時の経過によつて本訴が権利の濫用となるものとはいえないから、被告の右の主張は採用しない。
六(結論)
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は前記四で述べた範囲内で理由があるからその限度でこれを認容し、その余の部分は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴八九条、九二条を適用し、仮執行宣言を付するのは相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(稲守孝夫)
目録《省略》